🔥やけくそ💩

某医学生のぼやき帖

何をしてんだろう、という気分

彼女の家に来て、ことを済ませ、仲良く布団に並んで横になった。でも、18:00頃まで寝てたので全然寝付けない。寝息を立て、たまに寝返りをうつ彼女を横に、目を瞑って寝ようとしたり、スマホを眺めたりを繰り返しているうちに四時半を回ってしまった。

寝ようとするのを一旦やめて、布団から出て一人でに、タバコをふかす。

少し開けた台所の窓を占め、換気扇を止める。部屋の気圧差に、ベランダへの戸の隙間が、唸った。横に寝ている彼女にスマホの光が当たらぬようにしながら、こうしてパタパタと駄文を綴っている。

明日(今日)は1限から講義だ。今から寝ても大して寝れないだろう。行きたくないという気持ちが高まる。行かなかったとしても、別段、することもないけれど。

講義にもテスト勉強にも、「嫌だ」という気持ちが強く出すぎてしまっている。そして、それらをサボるほどに、「もっとちゃんとしなければいけないのに……」というループを繰り返している。エンドレスにストレッサーになっている。

今年もかなりの確率で留年するが、これからの頑張りようによっては回避できなくもない、という状態だ。どちらかに踏ん切りがつくわけもなく、結局何もしないという日々が続いている。生殺し、いや、生死に(なまじに)だ。

こういうことが積み重なってくると、まず何をしたらいいのかということが分からなくなってくる。そんな感じになって、間違った選択をして、それに気持ちを振り絞って手を付けてしまい後悔した、ということを何度かした。その結果、何をするにも億劫になってしまった。

言い訳だ。辛いことから逃れてる。でも結局、逃げた後に、もっと辛くなっている。滑稽だ。

一体俺は、何をしてるんだろう、という気分だ。

引きこもっている

 昨日、というか今朝は朝方まで起きていたので、夕方に目覚めて、何をするでもなくパソコンの前で時間が流れ、こんな時間。腹だけが減っていく。

 パソコンが俺をスポイルしてる。でも、無ければないで、不安になって死んでしまうような気がして手放せない。まさしく依存症の症状である。

 呼吸器の講義で禁煙外来をやってる先生の話では、「たばこを○十年吸ってきたけど健康だよ!お前も吸ったらどうだ?」みたいに害を認めず他人に勧めたりするのは、立派なニコチン依存症の症状だそうだ。気になって図書館で精神科臨床リュミエールの依存症の巻を読んだが、やはり依存症というものは、本人だけでは治療は難しいようだった。インターネット依存症やゲーム依存症も軽く触れられてはいたが、そこまで大きく取り上げられてなかった。たぶん、症例が多くないかつ深刻になりずらいというのが大きいだろう。ページの多くがギャンブル依存症に割かれて、やはり金が絡むため社会的に問題になりやすく、そういう側面がないと精神科医たちも関心を向けないようだ。

 まあそんなことはどうだっていい。

 もうすこし、日々幸せだなーと思って過ごせればいいなあと思っている。他人に「辛いんだ」と少し口を開くだけでボロボロと泣きそうになってしまうくらいには、つらい。

 つーかこうして書いているけど、書かなきゃいけないことも、書きたいことも特にない。ただ現に自分はこうして何かを書き残しており、「別に理由なんかないよ」と思ってはいるが、心のどこかに理由があるのである。こじつけるとすれば、今の自分の魂が言語化というフィルターにかけられたときにどんなものが現れるかを観察するためというのと、あとは、少しでも今の自分というものを忘れてしまったとしても、どこかにとどめておいて、未来の自分がこれらを読んだ時に思い出すなり、「ああこのときはこんな感じだったのか」と思ってくれればいいな、という思いが多少なりはあるから、という感じか。昨日書いた日記を書く理由みたいなものだ。

 書いててつまらない、たぶん、今日のは読んでも面白くないと思うのでこの辺でやめておこう。きっともっと、こんな概念的な話でなく、実際に起きたどうでもいいことを書いたほうがいいのだ。そのほうが多少はあとから読んで退屈しにくいということを経験的に知っている。

 さて非常に腹が減っているので、近所の24時間スーパーに行って、変な目で見られながら、飯を買ってこよう。

突然の再開

突然の再開。そういう気分だった。

昔書いていた日記兼ブログを読んだ

 先週友人と飲んだときに「そういえば○ってブログ読んだよ」と言われて大いに焦った。最後の記事が2013年の三月で内容も詳しく覚えておらず、すごい醜悪かつ恥ずかしいものというイメージだけがあったので、なんとなく今日まで距離を取って読み返さずにいたのだが、読み返してみると、意外と読んでいて面白い。

 内容が面白いというわけではない。要するに単なる黒歴史なのだ。その日記として書き残してある、実際に自分がやったこともまあそれなり恥ずかしいのだが、その口調という語り方がそれはもうひどいのである。心抉られるのだが、なんとも、その心のざわつきっぷりが心地良いのである。

 ただ、こんなものが公開設定のままということに「俺は一体なんてものをWWW上に残してしまったのか!」という自責の念にも駆られるが、この際いっそそのままにしておこうと思う。この日本のどこかに一定数いるであろう、ウェブの墓場マニアか見知らぬ誰かの黒歴史コレクターの肥やしにでもなれば幸いだ。ひょっとしたら、私は心のどこかに露出狂の素養があるのかもしれない。

こう、漠々と人生に迷っているときこそ、何かを書くべきという気がしている

 書くこと自体がその現状をどうにか打開する方法になるかもしれない、という期待もある。単純に何かを書きたくなっているという気もする。あと、今のうちに何か書いておくと、後でいいことがあるんじゃないか、という気もしている。こんな何でもないような何かを、最近ノートにちびちびと書いたりはしていたが、別にどこか公開するつもりはなかった。いや、そこに「その内容を公開することについて」ということを書いたりはしていて、公開するかもしれないな、という気もあったが、実際こんなに唐突に公開するとは思っていなかった、という感じか。

 これまで過去に書いたことを”黒歴史”として認識してこなったので、急にそれらを黒歴史と認識して、現在若干戸惑っている。そうなってくると「黒歴史というのは他人に冷やかされたりして嫌な思いをするもの」という認識でいたが、今までそういう認識を与えてこなかったということもあるが、それだけのものではないと思う。

 確かに恥ずかしいし、記憶の奥底に閉じ込めておきたいと思うが、それは絶対にかけがえのないものなのである。自分はそんな過去の日記を大いに大事にしてきたからだ。一生食べることのない漬物みたいなものだ。漬け始めるときは、新鮮な青野菜なのだ。漬けたことを忘れるか忘れないかくらい時間が経ってから、おもむろに封をあけるのである。そして、思いっきり臭いを嗅ぐのだ。そして「めっちゃ臭い!」ってなって喜ぶのだ。そして一切手を付けずに、また蓋をしてしまっておく。

 そういえば、いつかのセンターの問題で日記を付けることの偏執性が云々という文章を読んだ気がする。そこでも漬物みたいな例えが使われていたような、気がしないでもない。まあいい。

迷っている。何に?

 迷っている実感はあるが、何に迷っているかわからない。それほどに参っている。不定期に何か書いていこうと思う。そして、衆目に晒そうと思っている。過去の記事もそのままにしておこうと思う。愛すべき黒歴史である。情緒不安定で、神経質で、いつだって不安である。でもきっとそれでいいのだと信じている。というか、信じる他ないのだ。

全力で逃げられなかった2

[http://yakekuso.hatenadiary.jp/entry/2014/08/31/184821 の続き

鎌倉の由比ヶ浜から西に歩き続ける。
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するとこんな景色になる。いい感じの崖なのでハーケンでもクライマーに打ち込まれてないかと思ったけど見つからなかった。
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裏側から上に上がるとこんなものがある。相変わらずの天気。晴れていればなかなかの景色だったと思われ、少し残念。
この背後にはコッホの碑がある。北里柴三郎がコッホを日本に招いた際に、コッホがここからの富士山の眺望にひどく感動したことによるそうだ。もちろんこの日は富士山なんか見えなかった。


北東パスだけはあるので鎌倉から乗りたかったが、雨も少し降ってきて傘もなくそこそこの距離を歩いていたので歩いて戻る気もせず、稲村ヶ崎駅から江ノ電に乗り鎌倉へ。そして鎌倉から横須賀線で横浜へ戻る。


横浜で降りて、西口を相鉄線沿線に歩く。平沼橋辺りに俺が小学生の頃通っていた個人塾があり、そこへ顔を出した。
今年で71になる塾長はまだまだ現役。塾長の他には三人先生がいてそのうちの一人とはちょくちょく連絡を取っていて、俺のこの先の話などしばらく駄弁っていた。
それで聞いた話、塾長は教え子の母親たちを五人も日替わりの愛人?として抱えているらしい。
当時は知る由もなかったことを聞き、驚く。
バイタリティの高い人で、かねてから「俺が死ぬのは腹上死だ」と言っているというのは聞いていたが、恐ろしい話である。


帰ってからは家族でエヴァを見ながら酒を飲んだ。ここまでが29日。


30は六時半頃に実家をでた。
湘南新宿ラインで宇都宮、東北本線で黒磯→郡山→福島→仙台。
そのまま帰ってもよかったが、せっかくなので東北大に行った友人に会いに行き、そのまま一晩世話になることにした。
今でも交流のある数少ない高校時代の友人だ。
少し前からプログラミングをしたいから教えろと言われちょいちょい教えてはいたが、今回は「ツイッターのアプリ作りたい」と言い出した。
PCで使いたくてMacは使う予定はなくスマホ対応は不要ということで、GUIの構築が楽にできるC#を勧める。
全く何も知らない状態だったので本くらい見繕ってやろうと思って本屋に行くもあんまりいい本は見つからず。

俺も思うし本人も言っていたが、やっぱりプログラミングを学ぶのは始めが難しい。ゲームなら序盤に努力を促す飴を与えるシステムがあり、その後の辛いステージでも頑張れるが、プログラミングは楽しくなるという飴を貰えるのが結構先だよな、と。

とりあえず彼の家に行ってからVisual Studioをインストールさせて少しやらせてみたがあまり感触がよくない。
ボタンをおいてイベントハンドラ紐付けて…とかコードで再現すると面倒なことが簡単に出来て、俺がそんなのを最後にやったのはDelphiで、それも離れて久しく「(なんて楽なんだ…)」とか思ってたが、そこまで感動的ではなかったようだ。

今思うとあえてCでWin32APIでウィンドウを作るコードを書かせてからC#を教えてもよかったかな、とか思ったり。
やっぱりどんだけお膳立てしたところで、やる奴はやるだろうし、やらん奴はやらないんだろうな、というよくあるプログラミング入門って感じ。

そんな感じで酒を飲みつつマンUの試合を見つつ(彼が海外サッカー好き)、気付いたら寝てた。


疲れた。続く。

全力で逃げられなかった1

結論から言うと全力で逃げられなかった。8/31になった今札幌に帰ってる最中だ。

今まで何をしていたか。



22の夜から(C0をして)23に山に行く予定があったのを忘れていた。早い段階から逃げられなかった。否、それからも逃げることもできたが、俺は逃げなかった。
その上22になったらなったで悪天候確定で山には行かないという中途半端ぐあい。
レンタカーはすでに借りてしまっていたので、増毛までエビを食べに行こうということに。
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エビ。
そのまま留萌に向かう。
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変な展望台から日本海。
特に面白いことはない。朝に激辛のカップ麺を食べてしまい終始腹痛が続いたくらい。



ややあり、26まで飛ぶ。
帰省を試みる。大学が札幌で実家が横浜だ。
夜から北東パスを切ってはなますに乗り込む。
横浜まで。もう変なところに逃げる気は失せていた。
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こいつに乗るのは五回目だ。新幹線が開通したら無くなるのではという噂が聞かれ一抹の寂しさがある。

行程は
札幌→青森→八戸→盛岡→一ノ関→小牛田→仙台→福島→黒磯→宇都宮→小金井→横浜
だ。
はまなすが遅れて青森から始発に乗れず青森から16時間くらい掛った。
片道丸一日かかるが往復で13000円弱くらい。ちなみに18きっぷだと第三セクターを可能な限り避けるルートとしては
青森→弘前→大舘→好摩→盛岡→…
という感じになるに。好摩→盛岡はIGRで650円取られるがJRのみの縛りで山形まで周りこむと一日で青森から横浜まで行けない。

そんな感じで帰省。

帰ってからはずっと空虚にDjango+Angular.jsのウェブページの制作周りのことをしてた。友達はいないので会うこともない。
ただ最後の日は12:00頃急に思い立って鎌倉に行った。北鎌倉で降りて歩く。建長寺をスルーして鶴岡八幡宮へ。天気悪いにも関わらず人が多い。主に修学旅行生とカップル。1人だと居心地が悪かった。
そのまま南下して由比ヶ浜へ。
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天気悪すぎる。泳いでる人はほとんどいなかった。大体波打ち際ではしゃいでた。
よく思うのだが、男女3×3のグループとかなんとなく青春イベントっぽくて楽しいのは分かるんだが、男4人とかで来てる連中は本当に目的が不明。
ナンパできるコンディションでもないししそうな雰囲気でもなかったし。



なんか飽きてきたから。ここで切る。

全力で逃げる

8/21の朝、札幌を出る。帰りたくなるまで全力で逃げる。
8/20に再試験が終わる。すでに今年留年してるので、ここで落ちると放校になる。そして割りとなるとかもしれない。
だから追い出される前に全力で逃げる。